自分なりのメソッド

― 僕が生きるために選んできた方法 ―

僕は、トゥーレット障害、ADHD、汚言症を抱えて生きてきました。
気づかれないようにしても、隠せないときもある。
それでも、僕は「人に嫌われないように」って、必死に生きてきた。

どうやったら嫌われずにすむのか。
どうすれば人に受け入れてもらえるのか。
その問いにずっと向き合ってきた僕なりの、生き抜く方法=メソッドを、ここに残します。

愛想とユーモアは、僕の防具であり武器

僕は、人と接するとき、
誰よりも明るく、楽しく、愛想よく、裏表なくいるようにしてきました。
それは、ただの「いい人」ぶりたいからじゃない。

嫌われたくない。怖い目で見られたくない。
その一心で、「どうしたら相手が笑ってくれるか」を研究した。
芸人さんの話術を真似したり、人の笑い方の癖を観察したり、

ユーモアセンスは僕なりに磨いてきた“戦略”なんです。

人との壁を壊すために、僕は自分の「笑顔」と「言葉」で橋をかけてきたんだと思います。

ただ、最初は一日が終わるとすごく疲れていました。

トゥーレット症状と向き合うということ

僕の症状は、肘で壁を叩く、唾が飛んでしまう、奇声が出る、まばたきが止まらない、匂いに過敏。
電車の中でじっとしてるだけでも、周囲の視線が突き刺さる。

最初は必死に隠そうとしたけど、逆に悪化することもある。
だから僕はこう考えるようになった。
**「出てしまった 恥ずかしい 見られてる ホントにごめんなさい」**って。

でも出てしまうのも止められないし、止めようとすればするほど酷くなる。。

電車に乗るときはタオルで口を覆ったり、おしぼりのように丸めて噛んでマスクで隠したりイヤホンをつけて周りの声を遮断したり、

無理を承知で友達にお願いして電車を一緒に乗ってもらったりもした。

考えた、考えた、考えた、気が遠くなるほどの時間を費やした、まだ道半ばではあるかもしれないけど、今の僕が導き出した症状とうまく付き合うコツは

世の中のすべての人に理解を求める必要なんてない。ってこと

わかってくれる人は少数いててその人たちに甘えるところは甘えて、しっかり自分で戦うところは戦う、そしてまた疲れたら助けてもらう。

今はそれだけで十分人生と向き合えてると思えるようになってきた。

でももし電車が好きだったり、自分が潔癖症や嗅覚過敏じゃなかったらまた違ったんだとだろう。

今まで僕が実践してきた事例

  • マスクを春夏秋冬関係なく着用【コロナ前から】
  • 電車に乗るときはイヤホンとハンカチ(口を覆ったり・噛んで音声チックを抑えるため)
  • カフェイン摂取を控える
  • 優先座席の端に座る※座ってる方が動きが小さくなる気がしてる
  • 人が多いダイヤの電車は避ける(一時間早く出るか、数本電車をスルーしてホームで待つ)
  • 車を使用 一人の空間なので精神的に一番楽でした。
    ※世の中批判もありますが、僕は運転が大好きで乗っているとき症状が緩和されます。
  • 友達も乗せますし、実際運送業も5年ほどしていたので病院と教習所にも申請して許可のもと乗っています。
  • 着ているシャツの襟で顔をかくす。
    ※匂いがきつかったりすると反射的に顔を隠していました。

明るさの裏に、静かな孤独がある

明るくしてると、「この人は元気そう」「楽しそう」って思われる。
でも本当は、心がしんどいときだってある。

笑って、気を遣って、空気を読んで。
そのあとに来るのは、ドッとくる疲れや孤独感。

だから僕は、一人の時間に「自分を労わること」を大事にしてる。
「よく頑張ったな、自分」って声をかける。
それだけで、少し呼吸がしやすくなる。

自己表現は、僕のもう一つの言葉

言葉がうまく伝わらないとき、僕は画像や動画、AIを使って、自分の思いや世界を表現するようになった。
誰にも言えないことでも、作品にすれば「伝えること」ができる。

人と違う僕だからこそ、見える景色がある。
それを形にすることで、ようやく自分を肯定できる気がした。

AIや映像表現は、僕にとって**「逃げ道」でもあり「武器」でもある**。
自己表現は、孤独を癒し、誰かとつながるための、僕なりの言語なんです。

人に優しく、自分にも優しく

何度も同じ人間に虐められ、変人扱いされ、笑いものにされ続けた

でも僕は、人に優しくすることは得意だった。

お人好しでもあるが故に自ら苦しんだりもした。

孤独が一番の恐怖だったから。

結局自分を好きになろうと努力しても絶対に好きにはなれないと僕は思う。

だってそうゆうことも気付かせれるのは自分ではない他の人間だから。

だから諦めずに人と関わりを持つことに工夫をした。

工夫の分だけ疲れて本当の自分がわからなくなった時もある
でも、自分に優しくするのは、苦手だった。

自分が逃げてる、甘えてると言われて周りから人がいなくなるのが、独りになるのが怖かったから。

今は少しづつ、「他人の期待」に応えすぎるより、「自分が疲れたときは休む」ことのほうが大事だと思うようになった
無理してまで人に好かれようとしなくてもいい。

嫌われることを怖がりすぎなくていい。

だって、僕はもう、自分のことをちゃんと好きでいようと思っているから。

それに僕を好きだと言ってくれる人もいる。

そういった人たちに僕なりの恩返しがこれからもできたらと思い人生を楽しく生きたい

おわりに

僕の人生は、決して楽じゃなかった。
でも、たくさんの「工夫」と「葛藤」の中で、
自分なりに生きる方法を見つけてきた。

このメソッドは、僕の武器であり、僕を守ってきた小さな知恵の積み重ねです。

もし、あなたも「うまく生きられない」と感じているなら、
この中のどれかが、あなたの支えになるかもしれません。

あなたには、あなたなりのメソッドがあっていい。
そして、それはきっと、誰かの希望にもなれる。